『詩の生まれる場所』 竹村正人 第9回 就活
〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
―――石原吉郎 (続きを読む…)
京都の市民運動情報を伝えるフリ―ペーパー/ウェブマガジン
〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
―――石原吉郎 (続きを読む…)
学校の黒板の設置場所には決まりがあって、全国どこでも教室の西側の壁なのだそうだ。重松清の小説「進路は北へ」に書かれている話だ。確かにぼくの通ってきた学校の黒板も、すべて西側にあった。何百万という日本の小中高校生が、平日の昼間に西を向いて座っている異様さ。西を向こうとしない生徒が「問題児」にされてしまう異様さ。主人公の国語教師ムラウチ先生は、「それを想像してごらん」と語りかける。
学校では、「みんな」に合わせないと生きていけない。たとえば恋愛や将来の夢、興味関心といった個人的な話題を、あえてクラス全員の前で語りだす生徒なんていない。生徒も先生も、それが当たり前だと思い込んでいる。「みんな」に合わせようとしない、イコール、おかしな人。てか、クウキヨメヨ。「みんな」が西を向いているとき、一人東を向くなんて絶対にありえない。 (続きを読む…)
「で、電車行ってしもた~!」
まだ春寒き夜更けのプラットホーム。ここは滋賀県。へいわ屋店主の声が虚しくこだまする。手にした携帯からは「だ、大丈夫っすか、カワムラさ~ん?」とM君の困惑した声。
次の電車は30分後。仕事帰りの貴重な足を棒に振ってまで相談に熱中していたのは…。
5月2日円山音楽堂集会(*1)での青年企画の構想だった。 (続きを読む…)
K: ストライキ(京大時計台前のクスノキの下で座り込み)をはじめて、ちょうど3ヵ月ですね。
M: 風呂入りたい。昨日「沖縄カフェ」という企画で、辺野古の座り込みの映像見てたんだけど、やっぱり「風呂入りたい」言うてた。
K: 座り込むこと、カフェをすること(オープンであること)、これは何が大変かってうまくいえないけれど、 (続きを読む…)
私とは何か。
寺山修司が死ぬ間際に谷川俊太郎に向けて問いかけたのは、私という存在の謎についてだった。二人の詩人は「私は~」「私の~」という言葉だけの詩を、互いに送りあう。寺山は「僕は日本人」「僕は男」と属性を連ねたあと「どれが一番正しいのか決めかねているのが僕自身というわけか」と言い、谷川は「これは私のメガネ」「これは私のお金」と所有物を連ねたあと「私は誰でしょう、これは私の詩ですか」と応えた。 (続きを読む…)
<無視><否定><嘲笑>という、日本社会が今も取り続けている態度が、被害女性にとっては暴力そのものであるならば、その正反対の態度をもって彼女達に向き合うことが、最大限、私たちにできることなのではないのだろうか。
―――村上麻衣 (続きを読む…)
私が9ヶ月ぶりに京都に住み始めたのは、今年の2月であるけど、とても驚いたことがある。それは自転車置き場の有料化である。御池通りの広い歩道に自転車専用の柵ができていて、そこに金を払って自転車とめるのだ。あのシステム自体にけっこう金がかかっていそうで減価償却できているか心配になる。 (続きを読む…)
「頬を刺す、朝の山手通り。タバコの空き箱を捨てる…」という詞で始まる、椎名林檎さんの歌(*1)がありました。語法が何かヘンと思いつつも、鮮やかに景色が伝わるので印象に残っている歌です。こんな「頬を刺す」ような冷気は、いつの間にか消え、もう春ですね。昨夜物干し台に上ると夜気がやわらかく感じられました。かすかな沈丁花の香が、その柔軟剤の役を果たしているのでした。 (続きを読む…)
二年前から通ってきた生野区の小さな高校で卒業式があった。式が終わった後、受け持った卒業生と一緒に近くの喫茶店でおしゃべりをしていると、この二年間のいろんなことが思い出された。
はじめて授業をした日、「新しい先生」を楽しみに集まった生徒の前で、ぼくは唐突に自分の過去を語り出した。学校が嫌いだったぼくがいま教壇に立っている矛盾を、ただ自分のなかに仕舞いこむのでなく、彼らと共有しよう。ぼくたちが集う教室を、教師と生徒が一緒になって言葉を作り出す場所に変えてみよう。出会ったばかりの彼らに、学校を拒否していたころの自分が何を感じ、考え、生きていたのか、表現に飢え、葛藤し、疲労した闘いの日々を、ぶつけた。それが授業のはじまりだった。 (続きを読む…)